ここは、ボーイスカウト東京連盟世田谷2団のホームページなのです。
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小さな、小さな2団

>世田谷2団は1949年に創立されたとても小さな団です。活動は主に世田谷区の羽根木公園や明大前周辺でいつも元気いっぱいに行っています。

さて、ボーイスカウトというとやはりアウトドアが活動の中心と考えられがちですが、2団では文化的な活動にも熱心に取り組んでいます。創立当時のオケレレ(物がない時代だったので桶で楽器を作りました)の演奏や高校生が中心になって制作している広報誌、指導者達がスカウトと一緒になって学ぶインターネットなど、決して誰もが持っているボーイスカウトのイメージにとらわれない活動が2団の特徴です。これは仮にアウトドアが大の苦手だとしても、誰にでも必ず得意なのもがあるはずで、そこを伸ばしてやりたいという大学生を中心に活動する指導者達の考えの表れなのだと思います。なぜならば彼らもまた子供の頃から2団で自分の得意な活動を通じてリーダーシップを学んできたのですから。



創立50周年のキャンポリーにて。GS東京3団のみんなと。

世田谷2団の主な活動エリア

おおよそですがだいたい上の世田谷区と杉並区の区境あたりが2団の活動エリアです。鉄道の駅がたくさんあって一見広く見えますが実はこれで2km四方くらいの広さです(井の頭線、京王線、世田谷線ともに駅から隣の駅が見えちゃいます。鉄道マニアの方には特に世田谷線が一番のお勧めです)。区境が近いこともあって世田谷2団といっても杉並在住のスカウト、リーダーが多くいるのも2団の特徴です。上の地図にはありませんが杉並の大宮公園や小田急線の梅ヶ丘周辺も2団活動場所になっています。

2団のシンボルはなぜ熊なの?
このホームページはもちろんのこと、団内の印刷物やワッペンにまでたびたび登場する2団の熊。でもなんで熊なんでしょう?これにはちょっとした理由(っていうほどの事でもありませんが...)があるのです。
まだ2団が出来たばかりの頃(当時は東京第10隊といいました)の話です。始めて行われた日本ジャンボリーに参加した10隊のスカウト達はびっくりしました。広いサイトのどこを見てもすべての隊が同じテントを使っていたのです。これでは自分達のサイトがどこにあるかまるで分かりません。そこで10隊のスカウト達は考えました。「そうだ自分達だけのシンボルを作って目印にすればいいじゃないか」。こうして出来上がったのが右図のような熊のシンボルだったのです。その場にある物だけで作ったので決して贅沢なものではありませんでしたが、それでも10隊のスカウト達には自分の存在を示してくれるかけがえのないシンボルだったのです。時代はかわって材料こそ違う物になりましたが団や地区のキャンプなどには必ずついてくるこの熊、現在でも2団のスカウトやリーダーにとって特別なものなのです。一年を通して元気に活動するスカウトのシンボルが冬眠する動物っていうのも考えてみるとちょっと面白いですよね。
実は昔、ツッパってました?
人間も成長にともなって顔が変化していくように2団の熊の顔も変わります。現在の熊になったのはこのホームページを開設した時で、それまでは図のような「猛烈に不機嫌そうな熊」をいろいろな印刷物などに使用していました。実はこの不機嫌熊、モデルが存在するのですが本人の希望もあって原型が現RSリーダーのT.T氏であるなんてことをここに書くのは控えたいと思います。更に彼がこの熊以上にけんかっ早そうな性格だということも口が裂けても申し上げられません...ともかく自分がデザインを担当するようになってから早くも4代目にあたる現在の2団熊、まだ名前がないのでそろそろ考えてやらなくては...なんて思っているのですが何か良い名前はないものでしょうか?

PS :
えーと、ご本人の写真がココの7月4日あたりにあったりすることは団内でも極秘扱いのトップシークレットです。
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ボーイスカウト世田谷2団 ホームページ管理者
東京連盟世田谷第2団 団委員長 二宮 正之